SSudo's Lab

須藤爽のブログです。専門は(英語)教育政策,教育経営。

【読書メモ023】EBPM のダークサイド(杉谷, 2022)

書誌情報:杉谷和哉 (2022) 「EBPMのダークサイド:その実態と対処法に関する試論」『評価クォータリー』63, 3-16.
http://www.iam.or.jp/quarterly/ev063.html


今週の政策情報学会に向けてちょっとした予習(傍観するだけだが)。
なかなか勉強になった。英語教育政策にも応用できそうなヒントがたくさんあった。

  • 「狭義エビデンス」と「広義エビデンス
    • 狭義エビデンスは、RCTのような厳密な手法に基づいた実証分析から導出されたエビデンス
    • 広義エビデンスは広い意味での(客観的な)政策の根拠。
    • 狭義エビデンスはその厳密さゆえに、定義範囲が狭いことに加えて、実施できる事例が少数。一方、広義エビデンスは定義範囲の広さゆえに厳密さに欠ける。「これらを十把一絡げにEBPMと呼称して論じていることは問題含みであり、混乱を招いているのも否めない」(p. 3)。
  • EBPM のダークサイドとして、テクノクラシー・権力・政策実施・時間、の4つの論点を挙げている:
  • テクノクラシー
    • Wicked problem (Head, 2022):奥田 (2019) によると、「問題自体の定義がステイクホルダーごとに異なる問題」 (p. 192)。くわえて、問題自体の性質にかかわる性質として、「問題どうしの相互連環、知識の不足、不確実性の三点にまとめられる。」 (p. 192)
    • ウィキッド・プロブレムのように、問題の捉え方そのものが多様である場合には、公共政策はある一定の価値に依拠せざるを得ず、その調停は民主的なプロセスによってでしか解消されえないのである」(p. 5)

  • 権力
    • Peter Triantafillou (https://warwick.ac.uk/fac/sci/dcs/people/peter_triantafillou/) の議論に基づく。
    • 業績管理 (performance management) と EBPMの対比を通じて、EBPM の問題点が指摘されている。前者は成果主義に根差すため「手続き<成果」なのに対し、後者はエビデンスに基づく実践を重視するため「成果<手続き」という性質を有する。後者の問題点として、Triantafillou は、現場の専門性の軽視・特定の政策の選好、の2点を指摘している。
    • 問題点の2つ目については、エビデンスハイアラーキーの危険性についても言及されている。エビデンスハイアラーキーは、エビデンスの質の標準化には貢献するかもしれないが、それによる弊害もある——という指摘。その点については、このスライドを思い出した:https://speakerdeck.com/takehikoihayashi/she-hui-falsetamefalseebidensuping-jia-hexiang-keta-5x3falsejian-tao-waku-zu-mi 
    • 重要なのはエビデンスの強力さ云々だけでなく政策目的と一致しているか、もっと言えば、その問題設定は妥当なのか——という点。
    • 【コメント】 業績管理とEBPM のどっちがいいか——という話ではなくて、この枠組みをもとに、どちらか一方に偏っていないかチェックすることが重要だと思う。成果主義だけだとその実施過程が疎かになってしまうだろうし、エビデンス重視だけだとその実施過程の文脈が無視されてしまう。ちなみに英語教育政策は、圧倒的に「業績管理」に傾いていると言えるはず。

  • 政策実施
    • 先述した、Triantafillou が指摘した一つ目の問題(現場の専門性の軽視)は、政策実施にまつわるものと考えられる。すなわち、普遍的なエビデンスの導出を目指すあまり、現場での実践知が軽視される——という指摘。
    • 以下の指摘はいろいろ考えさせられた:

トリアンタフィロウも指摘していたように、EBPMは手法の統制を通じて、「効果的」な政策を実施する企てでもある。教師の裁量を統制するEBPMの方針は、教育の成果に着目し、そのプロセスはブラックボックスに入れてしまう。これはEBPMが因果関係を重視することに起因するのだが、この点にこそ、教育学者がEBPM に反対する理由があると言われている(村上2020)。(p. 7, 下線は引用者)

    • 【コメント】 村上 (2020) で指摘されているように、一般的に教育学は、(1) 帰結よりも過程重視、(2) 成果よりも価値や規範重視、という2点の特徴を抱えているはずだが、英語教育はそれに逆行している印象。近年盛んに議論されている入試改革は、過程よりも帰結重視だし、価値や規範よりも成果重視。その意味で、本紙の以下の文章は、英語教育政策にとっては非常に "刺さる" 指摘。

政策における「コンテクスト」(文脈)とは、政策が実施される条件や状況、環境などのことを指し、その内実は多岐にわたる(佐野2008)。重要なのは、政策は実施されるにあたっては、具体的な状況に適応させるためのプロセスが必要だということである(杉谷2021c : 138-141)。したがって、我々は、研究や政策の内実が多様であるということを認識し、全ての政策分野において一律に適応できるようなモデルはないということを認識しておく必要がある (Oliver, et al, 2014 : 7)。EBPM はこのことを忘却させるレトリックにもなりうる。(p. 8, 下線は引用者)

    • 以下、Sanderson (2009; 2010) についての説明:

彼の立論は、政策が実施される現実の複雑さを重視するもので、政策は元来、実験的な要素を含んだもので、期待された結果を生み出すとは限らないという洞察に基づいており、そのうえで重視されるのが学習プロセスである (Sanderson, 2009; 2010)。エビデンスに基づいて策定された政策を実際に行ってみると、その現場のコンテクストによってはうまくいかなかったりすることがある。この失敗から導出された教訓を共有し、エビデンスを錬磨していくことが、サンダーソンのプロジェクトの核心にあると言ってよい。 (p. 11, 下線は引用者)

  • 時間
    • Bornemann and Strassheim (2019)
    • 時間ガバナンス (Time Governance)
    • 時間のガバナンス (Governance of Time):時間をガバナンスの対象として扱う。例えば、「これからの時代は英語がますます必要になるから英語学習を充実させるべき」とか「これまでの英語教育は文法・訳読偏重だった。これからはコミュニカティブな活動を重視すべき」のように、望ましい将来像やシナリオを考案することを通じて、あるいは、過去を現在の視点から解釈することを通じて、資源の使い道を決めるのが「時間のガバナンス」。
    • 時間によるガバナンス (Governance by Time):「集合行為を生み出すために、時間をガバナンスの手法として用いる。(中略)しばしば用いられるレトリックの一つが、「緊急性」であり、今すぐに行動を起こさなければならないという論理のもと、様々な取り組みの正当化が図られる。」 (p. 9) 
    • 【コメント】 2020年度の英語民間試験導入を巡る政策論議でも、しばしば「緊急性」というレトリックは用いられていた。時間ガバナンスの視点も分析に取り入れると、けっこうおもしろそう。

文献メモ

  • 奥田恒 (2019) 「マイケル・ハウレットの『政策統合』アプローチ:ウィキッド・プロブレムへの対処戦略からの検討」『社会システム研究』, 22, 191-206. https://cir.nii.ac.jp/crid/1390009224847116416
  • 杉谷和哉 (2021) 「イアン・サンダーソンのEBPM論:その特徴及び意義についての考察」『政策情報学会誌』, 15 (1), 5-12.
  • Sanderson, I. (2002). Evaluation, policy learning and evidence-based policy making. Public Administration, 80(1), 1-22.
  • Sanderson, I. (2009). Intelligent policy making for a complex world: Pragmatism, evidence and learning. Political Studiesm 6(2), 53-85.
  • Sanderson, I. (2010). Evidence, learning and intelligent government: Reflections on development in Scotland. Germsn Policy Studies, 57, 699-719.