第37回言語教育政策オンライン読書会で以下の文献の報告を担当しました。
記録として,報告資料を転記しておきます。
対象文献:Liddicoat, A. J., & Taylor-Leech, K. (2021). Agency in language planning and policy. Current Issues in Language Planning, 22(1–2), 1–18. https://doi.org/10.1080/14664208.2020.1791533
要約
イントロ
- agency の定義の多様さ
- 社会学的な定義として,個人がコンテクストに単に反応するのではなく,コンテクストに影響を与える能力。
- 1980, 90年代以降から,エージェンシーと社会構造の関係性に着目し,個別的あるいは集団的な実践が,その背景にある社会構造をいかに再生産するか,あるいは抵抗するかというテーマの研究が興隆。
- LPPでも,政策的環境 (policy environment) におけるさまざまなアクターによる政策の解釈や翻訳が注目されている。
- Spolsky (2009) :言語政策の「意思決定」への注目の必要性を喚起。「誰が」「どのように」「どこで」決めたか。
- その流れの中でエージェンシーにも注目されているが,理論的な検討は不足している。
- 【コメント】LPP の文脈でBall et al. (2012) が引用されているが,同書は言語政策というより教育政策の本なので,違和感がある。
LPP研究の注目の変化とエージェンシーへの注目 (Ricento, 2000)
- 初期(1960s):脱植民地化や独立国家の発展のプロセス。個人のエージェンシーよりも言語計画を担う政府機関 (agencies) や省庁に照射。
- 批判的観点の重視(1980s~1990s):言語問題そのものだけでなく,その背景にあるイデオロギーや政治経済的関心,不平等や格差への注目。言語に関する抑圧からの抵抗という文脈で,エージェンシー概念が徐々に注目され始める。
- ポストモダン,言語権への注目(1980s中期〜):LPPをより複雑で重層的なものとして捉える視点
- ミクロ・メゾ・マクロの層
- LPP as text / LPP as discourse / LPP as practice ➝「政策」の定義の拡大(➝論点1)
- 学校,生徒,教師などの多様なアクターへの注目
- エージェンシーは,ミクロ・メゾに限らず,マクロの層でも発揮される。
- 一方で,最終的に公開される政策文書からは,政策形成に関わったアクターの多声性は見えにくい。
- 【メモ】同特集号掲載のPoudel et al. (2021):ネパールの教育言語政策。多言語主義(国家)vs. EMI推進(教育現場)の板挟みに置かれる地方レベルの政策立案者のエージェンシーの行使を分析。
- 【メモ】同様の傾向が Van Raemdonck et al. (2024) でも指摘されている(ただし,エージェンシーという言葉は使われていない):Furthermore, when we consider the role of arbiters, most studies have focused on teachers’ pivotal role. At the same time, arbiters on either the macro to a meso-level, such as policymakers or principals, tend to be overlooked despite their influential role in shaping LP.
- 【コメント】だからこそ,審議まとめや最終提言のみならず,議事録に注目することが必要という指摘にもつながると思う。一方で,マクロ・メゾ・ミクロにおける行為主体をエージェンシー概念で一括りに捉える必要はあるのだろうか(→論点2)
エージェンシーの理論的検討
- 過去・現在・未来に連なる時間的次元を視野に含めること (Emirbayer & Mische, 1998)
- 【メモ】Eteläpelto et al. (2013) の整理によれば,アンソニー・ギデンズの構造化理論では,エージェンシーは「現在の状況における個人の意図的で合理的な選択と行動」に限定されていた (Giddens, 1984)。これに対し,Emirbayer & Mische (1998) は時間的な次元の欠如を課題と見立て,エージェンシーの範囲を現在だけでなく過去と未来にも拡張し,「行為者による時間的に構築された関与 (temporally constructed engagement by actors)」と定義した。
- 【メモ】関連して,教師教育研究の観点からエージェンシー概念の理論的検討を行った文献が曾根 (2025)。
- 反復 (iteration) ≒過去
- すでに保有している認知枠組みによる影響。
- エージェンシーの発揮は,必ずしも変革を意味するわけではなく,従来の実践の継続という場合もある。
- 【コメント】p. 5, 下から8行目の part experiences は past experiences の誤植でしょうか。
- 投影 (projectivity) ≒未来
- 実践的評価 (practical-evaluation)≒現在
- エージェンシーを発揮するアクター
- Zhao and Baldauf (2012):権力を持つ人々/専門知識を持つ人々/影響力を持つ人々/関心を持つ人々
- Ball et al. (2011):学校現場における役割の複数性・流動性
- エージェンシーの発揮は,(合理性や倫理性に制限された)完全な自由意思のみに由来するものではなく,外部要因にも制約される,社会文化的な行動能力 (capacity to act) である (Ahearn, 2001, p. 112)
- 【コメント】エージェンシーをcapacity to act と定義してよいのかについても,検討すべきではないか。たとえば,Priestley et al. (2015) では,エージェンシー概念を (1) agency as variable, (2) agency as capacity, (3) agency as phenomenon に区別している (p. 20)。
- しかし,LPP文献の多くは,社会現象と切り離して,エージェンシーに着目している。structure and agency のバランスが重要である (Johnson & Ricento, 2013, p. 13)
- 【コメント】細かい指摘かもしれないが,Johnson & Ricento (2013) は,critical LPP scholarship におけるエージェンシー概念への注目の低さを問題視し,structure and agency のバランスが必要だと主張している。
- 認識論
- 実在論 (realism)
- 批判的実在論 (critical realism)
- 社会構成主義 (constructionist perspective)
- 【メモ】読書会での他の方からのコメントに,認識論についての説明の不足を指摘する意見があった。エージェンシーを個人の属性として内在するものとして捉えるのか,社会的に達成されるものとして捉えるのか。この捉え方の違いは認識論に関係する一方で,同文献ではあまりこの点については論じられていない。
論点1:policy の定義の理解,および自身の研究での使い方について
以前の読書会でもディスカッショントピックとされてきた点だが,言語「政策 (policy)」の定義についてまず検討しておきたい。Liddicoat & Taylor-Leech (2021) (以下,「同論文」と呼ぶ)は,「イントロ」でSpolsky (2009) の ’[l]anguage policy is all about choices’ を引いていることからも明らかなように,「政策」を広義の意味で用いている。もっとも,同論文では「政策」に関する明確な定義は見当たらない。しかし,たとえばLiddicoat (2020b) では,”planning” と “policy” について次のように説明されている:
Where "planning" refers to decision-making processes and "policy" refers to decisions, principles or guiding ideas that result from some explicit or implicit decision-making process.
ここでの「政策」は,政府主体によるものにとどまらず,非政府(機関・個人)レベルでの決定や実践も含まれる。Liddicoat (2020b) は,それらの「政策」をマクロ・メゾ・ミクロのレベルで捉えたとき,それぞれの政策的位置づけ (policy positionings) の複雑さ・相互作用・対立が浮き彫りになると指摘する。
こうした「政策」の広義の解釈は言語政策研究ではむしろ「一般的」なものであり,事実,同論文で引用されている他の論文でも同様の定義を確認できる。たとえば,Bonacina-Pugh (2012) は,言語政策を,(1) declared LP, (2) perceived LP, (3) practiced LP に分類し,言語政策を単なる公式文書や言説としてではなく,日々の会話の中に現れる「実践される言語政策(practiced language policy)」を包括するものとして定位することを提案している。また,学校教育における政策と実践に着目したBall et al. (2012) でも,「政策」を法令や国家戦略に限定せず,文脈によって媒介され,組織的に具体化される動態的なプロセス (discursive process) として定義している。具体的には,「政策」には,国家レベルで策定されるものもあれば,学校や地方当局によって生み出されるものもある。あるいは,明確な始点を持たないまま,実践の中で「流行 (fashionable)」のアプローチとして伝播するものもあるとされる。こうした複数の政策が相互に連関することで,「政策の集合体 (policy ensembles)」としてまとまるとBall らは指摘する (Chapter. 1)。
一方で,以前のLP読書会でも検討したGazzola (2023) が指摘するように,こうした「政策」の多義性・曖昧性が,政策と実践の境界を見えにくくさせ,結果として言語政策研究としてのディシプリンを確立させにくくしている(とりわけ,社会言語学との棲み分けを困難にさせている)面は否めない。また,先のBonacina-Pugh (2012) の三分類を引きつつ,Van Raemdonck et al. (2024) は,「LP研究の多くがpracticed LPに注目してきた一方で,perceived and declared LP への関心は相対的に下がっている」と指摘している (p. 290)。こうした問題の背景には,「政策」の複数性への注目が重視されてきた一方で,それらを「集合体」としてみるあまり,(1) 政府レベルの政策を解釈・翻訳した結果としての「政策」と(2) 現場レベルで生成される「政策」––の2つが区別されず,混在してしまっていることが原因としてあるのではないかと仮説的に考えている。この点の対策についてもディスカッショントピックになると思う。たとえば,Khan et al. (2025) では,macro- and micro-level policies / policy implementation and reinterpretation といった用語を用いることで,この点の錯綜を軽減させている印象を受ける。
論点2:ミクロ・メゾ・マクロという区分け/それぞれの層のエージェンシー
ミクロ・メゾ・マクロに関して,三つの点から論点を提示したい。
第一に,これらの区分けの合意可能性の低さについて。これらの区分けは,政策過程の全体像を捉えるのに便利であると思う一方で,まわりの方々からの指摘もあって,最近はあまり使わないように注意している。一つ目の理由として,これらの用語をあえて使わなくても,事象を説明できることが多い。二つ目の理由として,こちらがより重要だと思うが,それぞれの定義・境界はそれほど明確に定められておらず,合意可能性は高くないと思われる。このことはLiddicoat (2020b) でも指摘されていて,たとえばマクロレベルの対象は,日本やフランスのような中央集権制だと中央政府である一方で,アメリカやオーストラリアのような連邦制だと地方や州になりうる(もっとも教育政策の場合,そう話は単純でないようにも思う)。となると,メゾレベルの対象も判然としない。教育政策を例にすれば,メゾレベルに地方自治体や教育委員会を措定する者もいれば,学校を措定する者もいるだろう。ミクロレベルについても,個人と集団のどちらに着目するのかという説明は必要であろう。
第二に,macro-micro relation およびstructure and agencyについて。同論文でも指摘されているように,LPP研究がstructure and agency を主要なトピックとしてきたことは確かである一方で,特に「政策研究」という観点において,それぞれの連関を描写する試みに成功してきたとは言い難い。具体的には,LPP研究の多くがミクロレベルのアクターの行動を過度に重視してきた結果,政策実施における個人の能力を過度に見積もる傾向がある (Johnson, 2023; Khan et al., 2025)。その典型がMenken & García (2010) である(後ほど補足)。同書は,言語教育政策研究において,学校現場における教師の主体性 (educators as policymakers) に光を当てた重要文献として広く引用されている一方で,個人的には,「政策実施研究」とはカテゴライズしにくいと感じている。その理由はいくつかあるが,特に,国家政策に対する教師の解釈や意味づけというよりも,国家政策と教師自身の「ポリシー」との対立や葛藤に分析の比重が置かれている印象を受けたためである 。結果として,政策による影響や帰結は不可視化されやすく,政策研究としての示唆を得ることが難しいことに加え,ともすればその論じ方は「政策は無力である」というメッセージと受け取られかねないと考える。こうしたstructure and agency の偏り・非接続については,既に一部の研究者により指摘されており,おおむね,構造・政策の力と個人の行動を「二項対立」的に捉えるのではなく,「弁証法」的に捉えよう,それらの「バランス」を重視しよう——という結論に収斂していると思われる (Johnson, 2023; Khan et al., 2025)。これは,論点1で取り上げた「政策」をどう定義するかとも関連するテーマであると思われる。
第三に,各階層とエージェンシーの関係について。同論文の「マクロレベルのエージェンシー」という着眼点は重要であると思う一方で,それぞれの階層の「エージェンシー」を同質のものとして捉えてよいのかについては疑問が残る。何らかの主体的な関与であればすべて「エージェンシー」に包含されるほどに,定義が広すぎる印象を受ける。特に,マクロレベルとミクロレベルを比較すれば,想定されるアクターや,アクターが置かれている状況は相当に異なる。また,エージェンシーの発揮が何を意図しているのかという点も異なる。言語教育政策に限定すれば,ミクロレベルにおけるエージェンシーの発揮は,主に教育現場における被教育者たちに向けられていると言ってよいだろう。その実態は,教育現場に応じて多様でありうる。一方で,マクロレベルにおけるエージェンシーの発揮は,主に社会制度的な構築物に向けられていると思われる。たとえば,何らかの政策やプログラムである。こうした違いからも,それぞれのレベルの「エージェンシー」を明らかにする作業は,それぞれで異なる方法論を必要とするものであるため,個人的には一括りにして論じたくないと思った。
補足
Menken and Garcia (2010) に対する他の文献での批判-
Johnson (2013, p. 223) not only warns against the tendency to favor agency over structure but also notices "an inchoate tension between critical approaches that emphasize the inherent power of policies (e.g. Tollefson, 1991) and other approaches that focus on the power of educators and other language policy actors (e.g. Menken & García, 2010)." [...] a prioritization of agency over structure sidesteps the very historical and structural constraints upon agency in time and space (Sealey, 2000).
読書会で教えてもらった "negative agency"(あとで読む)
- Glasgow, G. P. (2014). Teaching English in English, ‘in principle’: The national foreign language curriculum for Japanese senior high schools. International Journal of Pedagogies and Learning, 9(2), 152-161.
This response may result in ‘negative’ agency or resistance, unless policymakers invest more deeply in the realisation of their goals through closer engagement with teachers and the contexts within which they work. (p. 159)
引用文献 (同文献に記載されている文献は除く)
- Eteläpelto, A., Vähäsantanen, K., Hökkä, P., & Paloniemi, S. (2013). What is agency? Conceptualizing professional agency at work. Educational Research Review, 10, 45–65. https://doi.org/10.1016/j.edurev.2013.05.001
- Gazzola, M., Gobbo, F., Johnson, D. C., & Leoni de León, J. A. (2023). Epistemological and theoretical foundations in language policy and planning. Palgrave Macmillan. https://doi.org/10.1007/978-3-031-22315-0
- Johnson, D. C. (2023). Critical empirical approaches in language policy and planning. In Epistemological and Theoretical Foundations in Language Policy and Planning (pp. 15–40). Springer International Publishing. https://doi.org/10.1007/978-3-031-22315-0_2
- Khan, M. Y., Abdul Manan, S., & Channa, L. A. (2025). Structure and agency entanglement: contextualising the macro–micro dialectic in the multilingual language education policy in Balochistan, Pakistan. International Journal of Multilingualism, 1–18. https://doi.org/10.1080/14790718.2025.2557435
- Van Raemdonck, M., Tyler, R., Van Avermaet, P., & Vantieghem, W. (2024). School actors navigating between implementor & arbiter – a qualitative study on the dynamics in multilingual schools’ language policy. Current Issues in Language Planning, 25(3), 285–305. https://doi.org/10.1080/14664208.2023.2283654
- 曾根杏樹 (2025)「教師の職能発達における主体性とその保障条件に関する理論的検討:成人学習論と欧米における教師agencyに着目して」『日本教師教育学会年報』34, 112–124.