以下の記事のつづき。
sudos.hatenablog.jp
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第II部「自治体の英語教育政策を問い直す」は,タイトルの通り,「自治体」に着目した分析・検討が行われている。著者も指摘するように,自治体に着目した英語教育政策研究は,これまで十分に蓄積されてきたとは言いがたい。その一方で,検討されるべき課題(というより深刻な問題)はすでに複数ある。たとえば,東京都のESAT-Jをめぐる問題(南風原・大津, 2023),英語教育実施状況調査を用いた自治体アピールをめぐる問題(寺沢・奥住・浦野, 2025)などが挙げられる。
私自身も,自治体の英語教育政策研究には関心があり,ポスト博論のテーマのひとつとして考えている。その意味でも,第II部はたいへん勉強になり,研究のアイデアを多く得ることができた。以下,章ごとにコメントを書いていく。
第5章 自治体における英語教育のポリティクス
第5章は,著者が都道府県・市区町村等の教育委員会を対象に実施した質問紙調査をもとに,「『英語教育政策を決めるのは誰か』に自治体レベルで迫」る章である(p. 121)。まず驚くべきは,同調査の回収率の高さである。計6件の質問紙調査が行われており,回収率はもっとも高いもので70%(28/40),もっとも低いものでも42%(730/1,738)である。この数値は驚異的である。地方自治体を対象に今後調査をすることがあれば,ぜひ青田さんに秘訣をご教示いただきたい。
さて,行われている分析はどれも興味深いが,ここでは紙幅が多く割かれている第4節「英語教育政策への影響力」について言及しておきたい。同節では,市区町村教育委員会の担当者を対象に,「貴殿は,貴自治体において外国語教育の施策を決める際に,以下の方々のご意見には影響力があると思われますか。それぞれについて,該当する数字1つに○をつけてください」という質問に対する回答が分析されている。その結果について,以下のように書かれている。
中央政府や都道府県教育委員会といった縦割りの影響力認知も比較的高かったものの,最も影響力認知が高い傾向が見られたのは「自治体の教育長」であり,「とてもそう思う」が64.71%,「まぁそう思う」が30.04%であり,肯定的な評価は合計で94.75%であった。(p. 135)
この分析をもとに,従来指摘されてきた教育課程行政における「縦割り制」,すなわち文科省→県教育委員会→市区町村教育委員会→学校という上意下達の構造は限定的であり,「中央政府の影響力を必要以上に高く評価すること」には慎重であるべきだと著者は指摘する(p. 142)。自治体の教育長による影響力は,印象レベルでは高いと思っていたものの,特に実証的な根拠をもっていたわけではなかった。その意味で,本書がこうした実証的知見を示してくれているのはありがたい。
ちなみに読書会では,(少なくとも私が覚えている限り)次の二点が論点に上がった。
第一に,確か梶ヶ谷さんがフーコーの権力論と絡めながら話していたことだが,仮に「中央政府・県教育委員会→市区町村教育委員会」の影響力が数値上は限定的であったとしても,教育長自身が中央政府や県教育委員会の政策から影響を受けている可能性は否定できない。だとすれば,数値には直接表れずとも,構造上は「中央政府・県教育委員会→自治体の教育長→市区町村教育委員会」となっている可能性があり,結果的にはそれも「縦割り制」といえるのではないか,という指摘である。
第二に,これは私自身もここまで特に定義せずに用いてきたのだが,質問文に含まれる「ご意見」という用語の曖昧さである。「ご意見」という言葉を回答者がどのように捉えたのかが掴みづらく,そのため,調査結果を読者としてどのように解釈すればよいのかが今ひとつ見えにくい。もちろん,大まかな傾向を掴むために,あえて抽象度の高い用語を選定したという意図は理解できる。ただ,「ご意見」は,当事者から直接何かを言われることだけを意味するとは限らない。実際には,明示的に意見を伝えられていなくても,「この人はこう考えているだろう」「こうすることを望んでいるだろう」とその意向を推測し,それを施策の決定に反映することもありうる。悪く言えば,「忖度」のようなかたちで作用する場合もあるだろう。そう考えると,回答者が「ご意見」という言葉にどこまでの範囲を含めて回答したのかによって,この結果の意味合いも変わってくるように思う。
第6章 自治体における小学校英語教育政策
第6章は,「自治体における小学校英語教育政策」について,「現状の実施状況と,過去の拡大過程の3つの側面から分析を行う」ことを目的とする章である。
個人的には,次の二点が興味深かった。
第一に,小学校低学年で使用されている教材に関する分析である。「小学校の低学年で英語教育が実施されている場合,使用教材[の作成者]は次のうちどれですか。(複数回答可)」という質問に対して,「最も多かったのは『ALTが作成』で,60.6%の自治体がこの選択肢を選んだ」と記されている(pp. 148–149)。詳細は本書をお読みいただくとして,この分析結果は,英語教師の専門性をめぐる重要な問題を提起しているように思う。著者も指摘するように,「ALT(外国語指導助手)は基本的には日本の教員免許を保有しておらず,さらに教育について大学等で学んでいない場合も含まれることについては注意が必要である」(p. 149)。もちろん,なかには英語教育に関する高い専門性を有し,素晴らしい実践を行っているALTもいらっしゃるわけだが,ここで重視すべきは,そうした専門性が制度的に下支えされているわけではないという点である。ALTについては第7章でも論点とされているので,いったん次の論点に移る。
第二に,政策波及に関する分析である。具体的には,「自治体間で相互参照は行われているのか,行われているとすればそれらはどのような様態なのか」(p. 218)に関する分析である。もっとも,第6章のなかでは「政策波及」という用語は(おそらく)使われていない。ただ,別章の9頁や67頁で言及されている「動的相互依存モデル」(cf. 伊藤, 2006)を念頭に置いた分析であることは読み取れる。
同章では,小学校英語教育について,特に「教育内容」や「授業時間数」といった項目で,都道府県内の他の自治体を参照しているケースが半数程度(正確な数値は本書をご参照ください)確認されている。また,被参照自治体を都道府県別に集計したところ,1位が埼玉県だったとのことで,「やっぱりそうなんか」と思いつつ,実証していただいてたいへんありがたい。
個人的に考えてみたいと思ったのは,今回の分析をどこまで「政策波及」として捉えられるのか,という点である。今回の分析で問われているのは,「小学校英語の実施にあたって他の自治体の何を参照したか」ということ(例:教育内容,授業時間数,教材の使用方法)である。つまり,「小学校英語教育を実施する」ということ自体は前提としたうえで,そのナカミ,すなわち教育内容や授業時間数などを検討する際に,他の自治体の取り組みを参照するというものである。
一方で,同章の関連事項として示されている,東京都による高校入試への英語スピーキングテスト導入施策は,かなり質が異なるように思う。こちらの場合には,他自治体の取り組みを参照しながら既存の政策のナカミを決めるというよりも,ある自治体で実施された特定の政策・プログラムそのものが,他の自治体へと導入されていくというケースになる。
個人的には,「政策波及」という語はむしろ後者のような現象を指すものとして捉える方がしっくりくる。実際,本書が依拠している伊藤文献でも,「新政策」が自治体の間に広がっていく現象として説明されている。そう考えると,今回の分析は,自治体が他自治体の取り組みを「参照」していることを明らかにしている一方で,それを厳密な意味で「政策波及」に含めることができるのかについては,検討の余地があるように思う。第6章で「政策波及」という用語を直接には用いず,「波及」や「参照」という用語に限定している背景には,こうした事情があるのかもしれない(この点については,読書会の際にはここまで整理できておらず,聞くことができなかった)。
第7章 自治体におけるその他の英語教育政策の動向
第7章では,第6章の小学校英語に関する自治体政策の議論を引き継ぎつつ,自治体における「英語教育に関する他の複数の政策を幅広く取り上げ分析」(p. 162)が行われている。そのうちのひとつが,ALTの雇用形態や出身国に関する調査結果の分析である。ALT研究が,その重要性にもかかわらず決して多くないなかで,たいへん貴重なデータである。
JETプログラムの利用率が,回答のあった自治体のおよそ半数にとどまることを踏まえて,「理由としては,JETプログラム自体に何らかの欠陥があるか,自治体がJETプログラムでの雇用を希望しても希望通りにはいかないことなどが考えられる」(p. 166)という指摘も興味深い。ただし,この点については何らかの知見やデータをもとに論じられているわけではなく,サラッと書かれているような印象を受けた。もう少し踏み込んだ記述も読みたいところではあるが,本書はALTを主テーマとしているわけではないし,それだけでもかなり重たいテーマだと思うので,ここでは論点の提示にとどめたのだろう。個人的に興味のあるテーマということもあり,もう少し知りたい・考えたいという「痒さ」が残る。
これと似た印象を,都道府県・市区町村を対象にした教育振興基本計画(以下,「計画」)に関する分析に対しても感じた。
同章では,「計画」の作成方法,「計画」の策定に関わったアクター,「計画」のなかで言及されている教科・領域ごとの割合などについて分析が行われている。いずれも興味深い分析だが,それぞれが単独でもさらに深掘りできるトピックであるように思う。
たとえば,「計画」の策定に関わったアクターについては,首長や教育庁,教育委員会などの行政側の職員に加えて,地域住民,保護者,児童生徒も選択肢として含まれている。同章では,こうしたアクターごとの特性についての検討までは行われず,それぞれが「計画」の策定にかかわったと認識されている割合が示されるにとどまる。もちろん,この分析がまず全体像を把握すること自体を目的としていることは理解するが,そこからどのような議論につながるのかについて,今ひとつ道筋が見えない。それぞれのアクターの関与の割合が高ければ高いほどよい,というわけでもないだろう。誰がどの程度関与しているかを示すことと,その関与が実質的にどのようなものであり,どのように評価されるべきかを考えることとは,別の問題である。
たとえば教育経営学や教育行政学で議論が蓄積されてきたように*1,施策へのこうしたアクターの関与や参加の内実・意義については,さまざまな重要な論点がある。そもそも,なにをもって関与や参加と言えるのか。実態として,どのように・どれくらい関与・参加しているのか。形式的には関与・参加していても,実質的にはいわゆる「お飾り参加」になっているのではないかという懸念もある。そうしたアクターが関与・参加することで,意思決定や施策にいかなる影響を与えているのか。そして,こうした議論をもとに,地域住民や保護者,子どもが意思決定に関与・参加することの意義や課題について議論し,そのありようを検討することにもつながりうる。
以上のようなことを念頭に置いたとき,本書が定位する「計画」の策定への「関与」をどのように解釈すればよいのだろうか。同章の分析は,「『計画』の策定にかかわった方すべてに◯をつけてください」(下線は引用者)という質問文に教育委員会の担当者が回答したデータにもとづいている。注意すべきは,ここでの「かかわった」という用語の曖昧さである。実際に策定のための議論に「参加」したという意味合いで捉えることもできれば,回答者によっては,もっと緩く,策定にあたってそのアクターのニーズや意見を意識したり参照したりした,という意味合いまで含めて捉えることもあるかもしれない。そうだとすれば,同じ「かかわった」という回答であっても,そこで想定されている関与の内実はかなり異なることになる。
個人的には,ここでの「かかわる」の定義をより精緻化したうえで,(英語)教育に関する施策の策定にあたっての地域住民や保護者,児童生徒の関与・参加の実態や意義について分析・検討していく方向性もあるのではないかと思った(もちろんその場合,研究方法がかなり異なってくるが)。そうすることで,誰がどの程度関与・参加しているのかという実態の(数値上の)記述にとどまらず,関与・参加の内実や意思決定・議論への影響,そこで生じる困難や課題を明らかにすることにもつながりうる。さらに,誰が・どのように関与・参加することが望ましいのかという,意思決定過程のあり方を考えるうえでの示唆にもつなげることができるかもしれない。もっとも,第3章の読書メモでも検討したように,本書はそうした立場を志向していない可能性もある。
第8章 自治体における英語教育政策の具体例
第8章では,自治体における英語教育政策について,自治体独自の英語教材を例として,施策(=独自教材の作成)の形成・決定と,実施・評価という二つの側面から分析が行われている。
前者については,教材作成にいかなるアクター(例:教育委員会事務局,教員,ALTなど)が関与しているか,後者については,回答者(各自治体の担当者)が政策の実施状況をどのように捉えているか,また,その効果をどのように評価しているかについて,質問紙調査および聞き取り調査の結果をもとに分析が行われている。
いずれも重要な論点である。詳細は本書をお読みいただくとして,ここでは「評価」に絞ってコメントを残しておきたい。
政策評価とは,「政策の進捗状況や課題等を,有効性,効率性といった一定の価値基準を通じて体系的に分析・検証する取組」を指す(西出, 2020)。言うまでもなく,そこではまず,その政策がどのような課題を解決し,何を実現しようとしているのかが設定されていることが前提となる。そうした政策目的に照らして,実施された施策がその課題の改善や目標の達成にどの程度帰結したのか/しなかったのかを検証するのが政策評価である。
しかし,著者の分析が示す自治体の英語教育政策の「効果」の指標を見ると,少なくとも本書で示された事例については(といいつつ,毎度思っていることではあるのだが),政策目的に照らして設定されたというよりも,「後付け」に近い印象を受ける。例として,資格試験の取得率,各種アンケート調査で「〇〇」と答える人の割合,「XXの実施率」などが政策の効果として設定されていることが報告されている。そもそもの課題・目的に照らして政策評価の指標を設定しているというよりも,自治体の取り組みを何らかのかたちでアピールするために,手近な指標を後付けしたという構図に近いのではないか。
※ 念のため補足しておけば,これは本書に対する批判ではなく,自治体英語教育政策における指標設定のいい加減さに対する批判である。もうひとつ補足しておくと,これはあくまで私が抱いた印象の話で,本書のなかではそうした批判が明示されているわけではない。
続けて,著者は次のケースについて言及している。
加えて,興味深い指標として,北川 (2015) は自治体の英語教育政策を分析し,「『英語特区』の効果もあり,学区外からの通学園者が増え,園児児童生徒数の減少が止まりました」(p. 9) と述べており,人口増加を指標の1つと捉える例もあるようである。(p. 202)
北川 (2015) の記事はこちらからアクセスできる:
https://view-next.benesse.jp/view/bkn-board/article04452/
たしかに興味深い事例ではあるが,いろいろと注意が必要である。
第一に,記事を読めばわかるように,「英語特区→園児児童生徒数の増加」という因果関係は,単に園児児童生徒数の推移から導き出されたものであり,統計的因果推論の手続きは一切踏まれていない。はっきり言ってしまえば,「英語特区の効果によって園児児童生徒数の減少が止まった」という説明は,北川氏による推測の域を出ない。もっとも,この点については著者も当然把握していると思われるが,本書で明示的な批判が書かれているわけではない(個人的には,ここはもう少し批判的に言及してもよかったのではないかという気がする)。
第二に,「英語特区→園児児童生徒数の増加」という因果関係が仮に真であったとしても,それを「英語教育政策」の「評価」という文脈で論じることには違和感がある。英語教育政策として考えるのであれば,通常,児童生徒数の増加そのものが政策目的・目標になるわけではない。英語教育政策にとっては,あくまで副次的効果にすぎないのではないか。
もっとも,英語教育と児童生徒数の増加を結びつけること自体を批判しているわけではない。たとえば,児童生徒数の維持・増加をひとつの目的とする地方創生や学校魅力化に関する政策の一施策として「英語特区」を位置付け,「児童生徒数の増加」を成果指標として評価することは十分理解できる。しかし,繰り返しになるが,それを「英語教育政策」の効果として位置付けることには抵抗がある。政策目的から見れば,英語教育政策とは別の領域に属する成果だと考えられるからである。
「英語特区→園児児童生徒数の増加」について,英語教育政策の立場から言えることは,自治体の地方創生戦略のなかで英語教育(政策)がどのように活用されているか,というくらいの話ではないかと思う。つまり,英語教育そのものの改善を目的とした政策として評価するというよりも,英語教育施策が学校魅力化や地域振興といった別の政策目的のために活用されている事例として捉える方がしっくりくる。それはそれで重要なテーマだし,個人的にもとても関心がある。
以上の理由から,特に「XXの実施率」や「児童生徒数の増加」といった数値を英語教育政策の効果や成果として位置づけることには違和感がある。それらが英語教育政策の目的や,その達成に向けて投入された資源・実施された施策とどのようにつながっているのかが示されなければ,同政策のアウトプットやアウトカムとして位置付けることは難しい。そうしたつながりがないまま数値だけが示されるのであれば,個人的には,自治体による独自の英語教育施策の「成果アピール」くらいにしか受け取れない。
このように,私は政策評価を狭義に捉えたいというスタンスなので,著者が指摘する「どの指標が優れていてどの指標が劣っているのかを弁別することは事実上困難であり,弁別それ自体にあまり意味がない」(p. 202)という点については,むしろ逆の立場を取りたい。どのような指標を,どのような政策目的との対応関係のもとで設定するのか,そしてその指標が政策の効果をどこまで適切に捉えているのかを吟味することには,とても大きな意味があると考えている。
おわりに
以上,3回にわたって『激動の英語教育政策は「誰が」決めたのか』を検討してきました。
読書会からはだいぶ日が経ってしまいましたが,当時の議論を振り返りつつ本ブログを執筆するなかで,本書をつうじて英語教育政策研究について多くの示唆や研究のヒントを得られたことは間違いありません。読書会に参加していただいた方々,また本書の著者であり,読書会のメンバーにもなっていただいた青田さんに心より感謝申し上げます。
なお,本ブログは一部,読書会での議論を参考に書いていますが,すべて私自身の解釈と理解にもとづくものであり,その内容の責任は私にあります。なかには的外れな指摘もあるかもしれませんので,その点については,ぜひコメント欄や何かの機会にご指摘いただければありがたいです。
初回の読書メモでも述べましたが,英語教育政策研究が下火のなか,こうして「英語教育政策」をタイトルの前面に掲げた博論書籍が出版されたことは,同じ専門領域を志す者としてたいへん励みになります。本書はこれから先,大学の授業での講読や読書会等でも広く参照されていくことだと思います。同じく英語教育政策を専門とする者として,その際の議論が少しでも盛り上がるよう,本ブログが何らかの参考になれば幸いです。
私自身も近い将来,自分の博論の成果を本というかたちで発信し,英語教育政策研究に貢献できればと思っています(そのためにもまずは博論!)。