SSudo's Lab

須藤爽のブログです。専門は(英語)教育政策,教育経営。

【読書メモ028】『何のためのテスト?』(ガーゲン&ギル, 2023)3~8章

前回のつづき

sudos.hatenablog.jp

第3章 関係に基づく評価に向けて

  • 本章は2章で検討された「教育=関係のプロセス」という枠組みをどのようにして「評価」に落とし込むか――についての内容

大切なのは、関係の豊かさに焦点をあてることで、公教育の工場モデルの重要な問題の一つである倫理面の貧しさを解決する道が開かれるということである。教育は主観的な感情ではなく客観的な事実を扱うべきだという考えから、倫理や人間の価値観の問題が取り上げられることはほとんどない(p. 64)

  • cf. Gergen (2020); Gill & Thomson (2020)

文献メモ

  • Gergen, Kenneth. (2020). Ethics in Education: A Relational Perspective. 10.1017/9781108769778.003.
  • Gill, S., & Thomson, G. (Eds.). (2020). Ethical Education: Towards an Ecology of Human Development (Cambridge Education Research). Cambridge: Cambridge University Press. doi:10.1017/9781108769778

第4章 関係に基づく評価—初等教育

  • 第4章・第5章が事例紹介パート。
  • 各事例について、そこまで厚く書かれているわけではなかった。1~3章で説明された「関係に基づく評価」の理論的説明に当てはまる事例をちょっとずつ紹介——という感じ。紹介されているのはアメリカやイギリスの学校での事例が中心なので、日本の文脈を考慮するとそれはむずいだろうなぁ、というのもいくつかあった。
  • 本書の全体的なスタンスとして言えることだが、「テストに基づく評価」を徹底的に批判し「関係に基づく評価」をべた褒めする程度が、少し度を越している印象を受けた。当然のことながら、「テストを実施する=悪」とは必ずしも言えないわけで、逆に、「関係に基づく評価=善」とも必ずしも言えない。特に日本のようなテスト文化がきわめて強い教育環境の中で、いきなり「テストに基づく評価」から「関係に基づく評価」へと切り替えるのは大混乱を招くだろうし、そもそも、日本の教育制度の多くがテストを前提として構築されているため、切り替えすら困難、ただの夢物語として終わるだろう(もっとも、著者たちはイギリス・アメリカの教育事情を想定してこの本を書いたのだろうから、この指摘は著者たちへの批判というわけではないが)。その意味で、「関係に基づく評価」についての実践報告をするなら、正の側面だけでなく負の側面も記し、どのようにして解決がはかられたのかという記述まで欲しかったところ。

第5章 関係に基づく評価—中等教育

  • 第4章に同じ

第6章 授業評価への関係論的アプローチ

  • 教育政策の目標や改善計画、評価方法のプロセスから、教員という授業について最もよく知るアクターが排除されてしまっている、という指摘 (cf. Green & Allen, 2015; Kane, Kerr, & Pianta, 2014)。
  • 「業績評価」「目標設定」「カリキュラムデリバリー」という用語が教育の商品化をますます強化している (Spring, 2015)
  • 以下の引用は、本書の全体的な主張を振り返るうえで、concise なまとめ

経営の言説を採用することは、多くの点で有害である。生徒をパッケージ化された「製品」に加工するという、教育の道具的な目的のみが強調されがちだからだ。このような言説では、教育は「生産」行為とみなされる。教師が経済効率性のために管理され、型にはめられてつくられるものとなるとき、学校における関係の文脈から疎外される。教師は賃金労働者となり、教育の崇高な側面は製品づくりに格下げされる。教師による教育への貢献は、事実上、「教える機会」への関与に縮小される。生徒のテストの点数で教師の「アウトプット」が測られ、教師のパフォーマンスが比較可能になる。こうして、システムは、「良い」「効果的」な教師には報酬を与え、「悪い」「効果的でない」教師には罰を与えるというアメとムチのメカニズムを使い、教師のパフォーマンスを向上させようとする。教師は固有の価値観をもっているのではなく、機能を果たすことによってのみ価値を獲得する(pp. 123-124)

  • 専門職コンミュニティにおける相互的な学びの促進 (p. 127)
    • 英語教育の分野で言うと、communities of practice(実践協同体)に相当する内容かと。
    • 相互的な学びの方法として、メンタリングとピア評価が紹介されている。それらの方法の意義を説明したうえで、実施を阻む要因として、時間/信頼/粘り強さを挙げている。

文献メモ

第7章 学校評価の関係論的アプローチ

  • 全国一斉テストについて
    • エリート層による支配の強化につながり得る (Leman, 1999; Guinier, 2015)
    • パフォーマンスの向上に寄与しているかについても検討の余地がある (Wrigley, 2012)
  • 本書では階層の再生産という視点から「テストに基づく評価」が批判されているが、階層の影響を受けるのは「テストに基づく評価」だけでなく「関係に基づく評価」でも(程度の差はあれ)同じではないだろうか。

文献メモ

第8章 関係に基づく評価と教育改革

  • エマージェント・カリキュラム:カリキュラムを静的ではなく動的なものとして捉える (cf. Gill & Thomson, 2012)
  • 「関係に基づく評価」を妨げる実務上の要因(←以下はそれに対する本書の反論)
    • 教員への負担 ← でもteacher-centered じゃなくなるから、理屈的には教員への負担は減るはずだよーという反論
    • 評価の厳密さ ← でも従来の「テストに基づく評価」も社会階層の影響を多分に受けていて価値中立的でないよーという反論(ただし、この反論は「関係に基づく評価」の厳密さをどう担保するかに対する答えにはなっていないと思う)
    • アカウンタビリティ ← そもそも従来の測定についても、テストの妥当性が保障されていない点や、スコアの解釈に文化的構成や社会経済的地位が考慮されていないため、説明責任を果たしているとは言えない(これも上と同じで、「関係に基づく評価」のアカウンタビリティをどう担保するか、という答えにはなっていないと思う)
    • ナショナルスタンダード ← そもそも学校教育の評価基準を第三者機関が設定するのがおかしいのではないかという反論。
    • 入学者選抜 ← ここは本書全体を通して批判されている点。
  • アカウンタビリティ」については、「たとえ近隣の学校であっても、生徒の文化的構成や社会経済的地位などには違いがあり、その結果、テストの点数にも影響が出るだろう」(p. 180) という筆者の指摘については、付加価値モデル (Value-Added Model) を採用すればその問題はある程度解決されるように思う。ただ、それでもいろいろ問題含みなのだが(詳しくは以下の記事を参照)。仮に「関係に基づく評価」を推進するにしても、アカウンタビリティをどう担保するかという視点は必須。関係に基づく評価を実現するためにはそれまで以上に学校の裁量を拡大する必要がある。裁量を拡大すればするほど学校側の責任も重くなるわけで、アカウンタビリティの必要性が増す。自由になればなるほど、説明責任はますます重くなるという逆説。

sudos.hatenablog.jp

  • 「ナショナルスタンダード」の反論内容は、まぁわからなくもないんだけど、いまの(特に日本における)趨勢を考えると、教育水準をめぐる自治体比較や都道府県比較や国際比較の勢いを止めることはむずかしいだろうなぁと。
    • 日本の英語教育を例として挙げれば、民間試験(特に英検)が英語教育の評価基準として使われているが、これがどのようなポジティブ/ネガティブな影響を与えているのかはあまり検討されていない。また、2013-2014 年の政策会議でも問題視されたように、教育に民間が介入すると利益相反の疑いが絡んできてしまうため、仮に教育の評価基準を第三者機関に委ねるとしても、さらにそれを監視する「第四者機関」の設置が必要になり…… 冗談交じりに書いたものの、このことは政策会議でも言及されたことがあり(ex. 「大学入試のあり方に関する検討会議」第11回)、その際はイギリスのOfqual という第三者機関を事例として紹介されたうえで、割と真剣に検討されていた印象。
  • 「関係に基づく評価」を妨げる社会的要因
    • 経済効率性・生産性の向上を最大目的とした管理・監視・測定主義の強化
    • 「管理の重視および倫理や価値観への無関心」(p. 186)
    • 新自由主義、NPM