SSudo's Lab

須藤爽のブログです。専門は(英語)教育政策,教育経営。

「英語教育・日本人の対外発信力の改善に向けて(アクションプラン)」について一言二言

書誌情報:
文部科学省 (2022)「英語教育・日本人の対外発信力の改善に向けて(アクションプラン)」
https://www.mext.go.jp/a_menu/other/mext_01982.html

やっぱ、そうなってしまうわな

私立大学等改革総合支援事業(私立大学等経常費補助金)における調査項目を見直し、4技能の総合的な英語力を評価した入試を行っている大学に対し加点する。(p. 9)

2020年度の共通テストへの民間試験導入は頓挫したものの、その結果、断念されたのは「民間試験の受験資格及び卒業要件としての活用」と「共通テストから民間試験への一本化」の道筋であって、「大学入試における4技能の評価」と「民間試験の活用」という流れは1986年の臨時教育審議会を端緒として今日までなお健在(須藤, 2022)。今後も注視が必要。

つっこみどころ1:「CEFR A1レベル(英検3級)」「CEFR A2レベル(英検準2級)」

中高生の英語力の評価として「CEFRの目標値が未達」(p. 1)と書かれている 。もともとは到達指標であったCEFR が到達目標と曲解されてしまっている点は置いといて、ここで注目したいのは「CEFR A1レベル(英検3級)」「CEFR A2レベル(英検準2級)」という文言。あたかも英検とCEFR がきっちり対応しているかのように見えてしまうが、実際のところ、「A1レベル=英検3級/A2レベル=英検準2級」というのは、かなりあやしい。このことをめぐって、2020年度の大学入試改革に関する政策論議ではけっこう議論されていたと記憶しているが、もはや当たり前のようにサラッと書かれているのは危険なように思う。

もう一言。「CEFRで英語教育の取り組みを評価しています! グローバルスタンダードです!」という意図で、CEFR を使った業績報告をしているのだろうが、実際のところ、中高生の英語力の指標として使われているのは英検がほとんど。CEFR と言われると、2020年度の英語民間試験導入問題で話題となった各試験の対応表が連想され、結果として、TOEFLやIELTS などの民間試験も思い浮かべてしまう。英検もそれらと並ぶ「グローバルスタンダード」な試験である——というイメージが、あの民間試験導入問題により持ちやすくなったのではないだろうか。その意味で、2020年度の民間試験導入の政策は、失敗には終わったものの、英検に箔をつけるという意味では「成功」したと言えるのかもしれない。

つっこみどころ2:中身のない「大学英語教育」議論

大学入学後の英語教育についていろいろ提示されている。

学生の英語力の目標値設定及び達成支援、学修成果・教育成果の把握・可視化など、各大学における総合的な英語力の育成・評価の取組を好事例として周知を図り、各大学の取組を促進する。 (p. 10)

まぁ、言っていることはよくわかるんだけど、「手段」を考える前にまずは「目的」を深く議論すべきではないだろうか。村上・橋野 (2020) の整理に従えば、教育政策の理論的な問いは、①教育において望ましい価値や帰結は何か、②望ましい帰結や価値があるとして、一定の制約の中でそれをどのように効率的に実現するのか、③望ましい価値・帰結やそれを実現するための政策は誰がどのように決めるのか、の3つに大別される。このアクションプランでは、②の「手段」に関する内容のみが記されており、①で記されているような、大学の英語教育は何のためにあるのかという「目的」に関する記述が十分ではない。英語教育の「目的」についての議論が不足しがちなのは、大学英語教育に限らず、英語教育政策あるあるの一つ。

つっこみどころ3:供給サイドから受給サイドへ

こうした取組を進める上では、従来、文部科学省の施策の中心であった授業の改善のみならず、これまでは強く意識されてこなかった、教育課程外・学校外の活動の充実も必要。とりわけ、若者が海外に飛び出して文化や価値観の多様性に触れ、世界中の多様な人々と協働する力や広い視野で課題に挑戦する力を身に付けることが重要。(p. 5)

教育課程・学校の整備もままならないのに、外の活動の充実を求めようとしているのは無謀。教員の多忙化や人員不足など、学校内に関することで早急に解決すべき問題は多数あるはずなのに、教育条件整備にはなかなか目が向かない。小川 (2019) で指摘されているように、教育を提供する側(供給サイド)から教育を受ける側(受給サイド)へと優先順位がシフトしていることを証明する好例。

つっこみどころ4:データがやっぱりひどい

スライド2枚目のデータが本当にひどい。

各国における受験者数や受検者層は異なるため、スコア差が各国の英語力差をそのまま表しているわけではないことに留意が必要ではあるが、各種の英語資格・検定試験において、我が国の平均スコアは諸外国の中で最下位クラス。(下線は引用者)


下線の内容を譲歩として示すことで、なんだか大した問題ではないかのように感じてしまうが、いやいや大問題でしょ。

つっこみどころはたくさんあるが、もっとも興味深いのが、TOEIC のスピーキングテストの日本のスコアが香港よりも高いという点。このデータを「日本人のスピーキング力が低いことの根拠」として本気で使っているなら、このデータが示す「日本人は香港人よりもスピーキング力が高い」という意外過ぎる事実をどう説明するのだろうか。あと、TOEIC って、日本以外の国で需要あるんすか? 受験する動機は何なのだろうか。