SSudo's Lab

須藤爽のブログです。専門は英語教育政策。重要だと思った文献のログ・感想を残していきます。

日本の「英語」教育におけるCEFRの政策借用

先日、とある読書会で以下の論文を読みました。

Nishimura-Sahi, O. (2020). Policy borrowing of the Common European Framework of Reference for languages (CEFR) in Japan: an analysis of the interplay between global education trends and national policymaking. Asia Pacific Journal Of Education. https://doi.org/10.1080/02188791.2020.1844145


私が報告者だったこともあり、関連文献もまぁまぁ読み込みました。読書会での議論内容も含めて、備忘録としてここに記しておきます。

本論文における鍵概念

  • ある国の政策が他国に伝播する現象を「政策移転 (policy transfer)」や「政策借用 (policy borrowing/lending)」と呼ぶ。
  • 政府文書・調査団の派遣の記録に基づき、他国の政策を借用する意図があったことを確認することで、「グローバリゼーションの中でたまたま国家間で政策が共通した」という抽象的結論に済ませるのではなく、意図的な移転行為があったと結論する → 政策決定過程をよりミクロに観察できる。
  • 言語政策研究でもたびたび使用されており、早期英語教育を政策移転に基づいて分析した Enever (2018) が有名。

要約(と簡単なコメント)

RQ

global education policyが日本に借用されるプロセス・メカニズムの解明
——CEFR は日本の外国語教育の政策にどのように借用されたか?

Global education policy and educational policy transfer

[...] other comparativists tend to analyse global education policies through micro-level analysis taking the so-called “Globally Structured Agenda for Education” (GSAE) approach to global education policy (Dale, 2005; see also Verger, 2014). (p. 3)

Importantly, the ultimate goal of educational policy transfer research in comparative policy studies is not to provide a thick description of the local context, but to interpret and understand “the power, legitimacy issues and political processes that explain policy change” in an era of globalization (Steiner-Khamsi, 2012, p. 467). (p. 3)

  • 政策借用はマクロ要素・ミクロ要素と密接に関係している(=メゾレベルの理論)。ここで言う「マクロ要素」とは、新自由主義グローバル化などかなり抽象度の高い理論のこと。一方、「ミクロ要素」とは、個々の国・地域の教育行政機能の体系等を指す。
  • 本論文ではGSAEについてそこまで説明されていないので、簡単に説明しておく。Verger (2014) の説明を借りると、GSAEとは、グローバル化の原動力を「資本主義経済」と捉え、そしてその影響は教育政策にも多大な影響を与えている――という考え方の枠組みを指す。また、教育行政で大きな変化が生じた場合は、local, national, global の視点から、経済状況とのつながりを広くかつ狭く検討することを重視する。後述するように、政策借用という方策は昔から行われてはいたものの、グローバル化がさらにその使用を活性化させている(他国の政策事情を容易に把握でき、なおかつ、「他の国がやっているのだからうちの国も……」という具合にその政策を導入する根拠としても使える)。その意味で、政策借用とグローバル化は密接に関係する。一方、これまた後述するように、政策借用とは必ずしも「そのまま他国の政策を借用する」わけではなく、そのアイディアをもとに少し改変を加えたり、あるいは、アイディアだけもらってほとんど自国で政策を組み直すという場合もある。つまり、借用先のニーズ・事情によって、元の政策から多少なりとも変化が生じる。その意味で、政策借用はローカルな事情とも密接に関係している。だからこそ、政策借用は「メゾレベルの理論」と形容できる。本論文ではこのような関連性を背景に、GSAEについて言及しているのかと思われる。
  • 【参考】「マクロ理論→メゾレベルの理論→個々の教育行政機能→個々の政策過程」(寺沢, 2021

He [Nitta (2008)] points out that the Japanese crisis discourse in the late 1980s took shape in the interplay with a global trend or wide-spread belief that failure in public education threatens the economic competitiveness of the nation state (Nitta, 2008).
(p. 4)

  • 1990年以降の経済低迷を受け、財界をはじめとして焦りが生じる。
  • 【参考】「大胆な教育改革なしでは、ヨーロッパ・アメリカに追いつく・追い抜くことはできない」という危機感が教育改革を大胆に進める原動力となる (Nitta, 2008, p. 115)。特に教育改革は政策の中でも「目立つ」部類に入るため、政治家にとってもアピールの材料として活用されやすい傾向にある。


[...] education politics in Japan during the 1990s and 2000s shifted to the globally diffused New Public Management (NPM) approach: The central government attempted to improve educational performance by conducting quality assurance through external school evaluation and standardized tests rather than by providing “inputs” such as human and financial resources and facilities (Nitta, 2008; see also Fujita, 2010; Gordon & LeTendre, 2010; Rappleye, 2012). (p. 4)

  • 日本におけるNPMの教育の導入により、数値目標による管理など成果主義が強まる → 効果をはかる客観的な指標が必要 → 民間試験やCEFRの導入 ——という流れ (p. 5) 
  • 【コメント】日本におけるNPMの導入は諸外国と比較するとかなり限定的。(村上・橋野, 2020, p. 148)。村上・橋野で指摘されているように、日本の学校は(特に高校以上で)私立学校の割合が多いため、そもそも民間に外部化されていると言える。また、仮に教育の世界で何かしらの結果を収めたとしても、個人の昇進・給与の上昇に結び付くことは稀なこと。とはいえ、成果主義の高まりや教育権限の集中化など、影響が決してなかったわけではない。PDCAサイクルの導入もこの流れの中で行われたと考えられる (Nitta, 2008, p. 139)。というように、NPMの影響は「無くはないが、明確に議論するのは困難」という印象。なので、本論文のpp. 4-5 で指摘されている「NPMがCEFRの導入に影響を与えた」という指摘は、否定もできないが肯定もできないというビミョーな感じ。

Results

The CEFR and the revision of the course of study

[...] I observed that the need for a national framework was first stated in the late 1980. [...] To this end, the Second Report proposed several reform agendas including the introduction of clear goals of English teaching at each school level. (p. 5)

  • 1980年代後半に設置された臨時教育審議会が後の教育行政にきわめて大きな影響を与えた——それはCEFRも例外ではないという指摘。
  • 【コメント】臨教審の第二次答申が後の教育政策に大きな影響を与えたという話は、教育政策研究ではかなり有名な話。例えば、小学校英語・大学入試における民間試験導入・9月入学案などは、すべて臨教審で提案された事項。大学英語入試関連については、拙稿でまとめています。
  • 【コメント】“a national framework” の「フレームワーク」をどのような意味で使っている? おそらく第二次答申の「各学校段階における英語教育の目的の明確化」の箇所を指していると思われるが、ここでの「目的」とは「到達目標」の意味では? 後述するが、「目的」でも「基準」でもない「フレームワーク」という用語の抽象度がかなり高く、これがCEFRの様々な誤解・誤用につながっているのではないかと思う。この点は日本語の「枠組み」でも同様。


[...] the CEFR was introduced as an “international standard” in the new curriculum. The rhetoric of “international standard” has been used in several policy documents since the beginning of the 2000s. [...] This MEXT’s choice of words indicates that the status of the CEFR as an international standard was an appealing aspect for Japanese policymakers who have pursued the reform agenda proposed in the early 2000s. (p. 7)

  • 「国際基準」「21世紀型スキル」「ベストプラクティス」といった用語が教育改革への圧力を高め、たとえこれらの用語が何を意味するかについて共通見解がなくても、改革の根拠として使われる (Steiner-Khamsi, 2014, pp. 156-157)。新自由主義による教育政策の改革圧力により、「国際基準」や「21世紀型スキル」というスローガンを掲げ、何かしらの変化を教育政策にもたらそうとする。しかし、それらのスローガンの抽象度があまりにも高すぎるため、特に具体的な施策を思いつくわけでもない。でも、何かしら改革を起こさないといけない。そこで施策をウチではなくソトに求める(→政策借用)。そうすれば、アイディアを自分で考える必要もないし、予算も削減できる。なおかつ、他国の成功事例があれば、自国で導入する際の根拠としても使える(もちろん、他国での事例がそのまま自国でも当てはまるというのは、それぞれの地域事情の差異を全く考慮していない、きわめて楽観的な発想ではあるが)。
The CEFR and the reform of university entrance examinations

ここで、大学入試における民間試験活用とCEFRのつながりについて述べられている。
「公教育における民間試験の活用」は1980年代後半から議論されてきたが、それが政策として実現するまでに40年近くかかった(結果的に、民間試験の導入は中止になったが)。何が民間試験活用の障壁となったのか。本論文では以下の2点が指摘されている。

  • 民間試験の目的と学習指導要領の不一致
  • 数ある民間試験の中から、どれか一つを選べない

しかし、CEFRを日本の公教育に導入したことでこの障壁が解消され、民間試験の活用は促された——と本論文では指摘する。つまり、

  • CEFRを学習指導要領に取り入れ、かつ、民間試験をCEFR基準で活用することで、CEFRが両者の媒介項となり、「民間試験 ↔ 学習指導要領」という問題を解決(しているかのように見せかける)
  • 民間試験をCEFR基準で活用し、複数の民間試験のレベル調整を行う(ように見せかける)ことで、「どれか一つ選ぶ」という状況から脱する

本論文の内容からはやや脱線するが、上記の内容を大学入試改革の流れと合わせて説明すると、以下のようになる:

もともとの願望として、「入試にスピーキング試験を導入したい」という政策目標があった。当初は大学入試センターによる自前の試験を予定していたが、予算の問題や実施にかかるコストから厳しいと判断。代替案として、昔から提案されている「民間試験の活用」が挙がるが、「学習指導要領との不一致」「特定の民間試験を活用した場合に生じる財界との関係悪化」が障壁となる。その障壁を解決し、本施策のフォーカル・ポイントとなったのが「民間試験とCEFRを紐づけすることで、複数の民間試験の中から受験生に試験を選択させる形で民間試験を導入する」というアイディアだった。

「フォーカル・ポイント」としてのCEFR

コメント

論文全体の評価

  • CEFRが日本で注目されるようになった背景について、「独立変数:新自由主義グローバル化」→「従属変数:政策借用」を政策文書・インタビュー記録をもとに、実証的に分析している
  • また、CEFRが大学入試における民間試験活用の障害を回避するためのアイディアとして使われた——という指摘も興味深い
  • 本研究は「マクロ理論→メゾレベルの理論→個々の教育行政機能→個々の政策過程」(寺沢, 2021)の下線部を主に検証しており、政策が「どの程度」転移したかについての記述は薄い(「独立変数:政策借用」→「従属変数:個々の政策」)。
  • この点について検証しているのが Nishimura-Sahi (2022)

CEFRの政策借用における「程度」

本論文で引用されていたわけではないが、政策借用の重要文献としてEnever (2018) も改めて読んだ。以下は、CEFRの政策借用についての重要な指摘。

A further appeal of the CEFR as a policy document is that it cannot be related to a specific country. Significantly, it cannot therefore be ‘borrowed’ by another country. (Enever, 2018, p. 196, 下線は引用者)

  • CEFRの政策借用は、特定の国で行われている政策を借用しないという意味で「借用」ではない——という指摘
  • 政策移転研究では、「どの程度」政策が移転されるかに応じて類型が提案されている:模倣 (copying)・政策競争 (emulation)・混合 (mixtures)・刺激 (inspiration)(秋吉他, 2015, p. 259)
  • 日本におけるCEFR の政策借用は、当初は自前のCEFRjapan の作成を目指していたが、2007年からフィンランドにおけるCEFRの活用事例を取り入れながら行われた (Nishimura-Sahi, 2022) =「政策競争→混合」という流れ

「外国語」教育ではなく「英語」教育としての政策借用

  • CEFRの理念はplurilingualism / pluriculturalism のはず。しかし日本では 、「複言語主義の思想が参照されることはなく、本来は『評価の尺度』である能力記述だけが取り残され、英語教育における『学習到達度目標』として、CEFRが一人歩きを始めた感がある」(鳥飼, 2013, p. 5)。CEFRの ‘can-do’ descriptors のみに注目が集まり、複言語教育路線は今のところ完全に途絶えているように見える。
  • Nishimura-Sahi (2022) で指摘されているが、どうやら、CEFR の「フレームワーク」が意訳(誤訳?)されているのは日本だけではないらしい。

Although the CEFR authors and experts emphasise that the CEFR is not a standard but a framework for facilitating educational reform projects in different contexts (Council of Europe 2001; Byram and Parmenter 2012; Jones and Saville 2009), the CEFR has been used as the former for benchmarking language proficiency and promoting the outcome-oriented development of curricula and language programmes in Europe and beyond. (Nishimura-Sahi, 2022, p. 2)

英検の独占市場

This finding shows that the CEFR reference levels attracted Japanese policymakers’ attention as a practical tool to enable the use of several external tests in the national standardized university entrance examination. (Nishimura-Sahi, 2020, p. 8, 下線は引用者)

  • TOEFL の活用を提言し、批判を浴びる」→「自前のテストを作成しようとするが断念」→「再び民間試験導入案に戻るが、どれか1つに選べない」→「すべて導入してしまえ!」
  • ある一つの民間試験を導入するとなると、その試験の目的と学習指導要領の不一致や、試験の難易度に批判が集まる。一方、すべての試験を導入して受験者に選ばせる形にすれば、批判が個別の試験の妥当性ではなく、「民間試験導入」という施策に集まりやすくなり、結果的にごまかしやすくなった(?)
  • とはいえ、「複数の試験を併用する」と言っても、多くの受験生が英検を選択することは容易に想像できる。この施策によって、結果的に最も得をする(予定だった)のは日本英語検定協会。
  • 読書会で指摘され気づけたが、英検については学習指導要領との不一致で批判されたことはおそらくない。学習指導要領との不整合が昔から指摘されていたのは主にTOEFL。それが最近では、「民間試験」と学習指導要領との不一致——というように、複数の試験を一括りにして批判が為されている傾向にある。その結果、「民間試験」の一つとして含まれる英検にも批判の矛先が向かっている印象。その意味で、英検はいわば巻き添えを喰らったとも言える。

言語政策研究における政策過程研究理論の活用

  • 本論文では、日本におけるCEFR導入の事例を「政策借用」という政策過程研究の一理論を採用することで、事例をより詳細に記述することを可能にしている
  • 言語教育政策の分野でも、上手に事例を説明するために政策過程研究の理論を活用することが重要。
  • 本論文ではSteiner-Khamsi (2012; 2014) がたびたび引用されている。Steiner-Khamsi (2014) の以下の指摘がなかなか面白かった。

In policy studies, John Kingdon coined the term “policy window” to identify favourable conditions for policy change (Kingdon, 1995, p. 19). He found that the convergence of the three following streams is likely to produce change: the problem stream (recognition of a problem), the policy stream (availability of solutions), and the political stream (new developments in the political realm such as, for example, recent change in government). It is important to point out that Kingdon does not take into account the process of transnational policy borrowing. (p. 156, 下線は引用者)

  • キングダンの「政策の窓」モデル*1は政策過程研究では非常に有名な理論で、英語教育政策でもたびたび使用されている(例えば青田 (2021) など)。しかし、Steiner-Khamsi に言わせると、この理論はもはや「古い」とのこと(そこまできつく言っていないかもしれないが)。「政策借用」についての考慮が抜けている点で、現在の特徴であるグローバル化による影響の視点が抜け落ちているという指摘。
  • このことについて読書会で言及したら、「政策借用は『政策の流れ』に含まれるのではないか?」という指摘があった。たしかに政策の窓モデルは、それぞれの概念についての定義は比較的緩めなので、そのような見方もできてしまうのか…… その意味で、政策の窓モデルは、概念を拡張しやすい・各事例に合わせて柔軟に定義を設定しやすいという点で、使い勝手が良いと言えるかもしれない。と同時に、概念を拡張しやすいがゆえに、筆者の都合に合わせてこのモデルを使用しやすいため解釈が恣意的になりやすいという問題もあるかと思う。とある方の発言だが、その意味で、政策の窓モデルは「使いやすく」かつ「使いにくい」モデルであるというパラドクスを抱えている。

*1:簡単に説明すると、何らかのイベントによって「問題の流れ」「政策の流れ」「政治の流れ」が合流し、その結果「政策の窓」が開くことで政策決定がなされる――というモデル。詳しくは、岩下 (2012) のpp. 31-46 の説明が参考になると思います。