SSudo's Lab

須藤爽のブログです。専門は(英語)教育政策,教育経営。

【読書メモ003】「大学入試改革」に関する研究テーマをメモしておこうかと ① (文部科学省, 2021)

書誌情報

文部科学省 (2021) 「これまでの主な意見の概要(第1回~第20回)」


「大学入試のあり方に関する検討会議」は、2020年1月15日に第1回が実施され、本稿執筆時点までに計21回行われてきました(ちなみに、第22回は3月4日に開催される模様)。これまでの議事録は、文科省のホームページに掲載されているものの、さすがに21回分をすべて見るのは大変だなぁ——と思っていた矢先(まぁ、いずれ見ますけど)、「これまでの主な意見の概要(以下、「本資料」と呼ぶ)」というナイスな配布資料が公開されていました。本稿ではこの資料をもとに、大学入試改革に関する研究テーマを洗い出そうと思います。

 本資料の構成は次の通り。

  1. 入試改革全体の経緯
  2. 高校教育、大学教育と大学入試との関係
  3. 大学入試のあり方と現状
  4. 大学入学共通テストの位置付けと各大学の個別入試との関係
  5. 英語4技能の育成・評価
  6. 記述式問題の導入
  7. 格差の解消・障碍者への配慮
  8. その他

計65ページにわたって、これまでの会議内での発言がまとめられています。すべてを取り上げるのは大変なので、私の研究テーマと関連のある章に絞って、ログとして残しておきたい内容と、それに対するコメントを記していきます。

今回は、「1. 入試改革全体の経緯」から気になったところをいくつか。

「入試改革全体の経緯」から抜粋

[委員意見]英語民間試験の導入と記述式が2つの目玉政策になっていった経緯が不明。議論が始まった頃は、学力不問入試などが大きなテーマであったが、議論の中心が学力の不問から、国公立を中心とした共通試験に変わっていったのはなぜか。

たしかに、この種の政策過程に関する研究は不足しているように思われる。特に民間試験導入に関しては、南風原 (2018)鳥飼 (2020) で指摘されているように、2016年3月31日に発表された「高大接続システム改革会議」の最終報告から、文科省が2016年8月31日に発表した「高大接続改革の進捗状況について」の5か月の間に飛躍的な変化が生じており、「謎の5か月間」(鳥飼, 2020)と表現されている。

[外部有識者・団体意見]これまでの議論では、理念やエビデンスの検証が十分ではなかった。例えば、「思考力・判断力」「英語4技能をバランス良く」といった理念の定義が曖昧であり、英語4技能が日本の大学で学ぶうえで均等に必要なのかといった議論も十分に行われなかった。

「理念やエビデンスの検証が十分ではなかった」という指摘は、筆者も全面的に賛成する。特に、「英語民間試験を導入することで、高校での英語指導をコミュニケーション重視に変えられる」ことを示すエビデンスは、現状一切ない*1

また、ご指摘の通り、大学で研究活動をするうえで、果たして4技能が均等に必要なのだろうか。もっとも、「4技能」とは言っているものの、その中で「スピーキング」が重要視されているのは周知のことであろう。それをふまえて話を広げれば、「何のために・どの程度、日本人の英語を話す力を向上させたいのか」はっきりしない部分が多い。このことに関連して、苅谷 (2020) は以下のように述べている。

 この性急とも言える英語入試改革を後押ししているのは、英語を何年も学んでいるのに「日本人は英語を話せない」というコンプレックスである。小学校教員のほとんどが英語を教えるだけの十分な知識を持たないにもかかわらず、小学校への英語教育への導入が多くの支持を集めるのも、生徒や教員の能力を無視して、中学校や高校での英語の授業は英語だけで行うことを求めるのも、この、英語を話せない日本人という根強い劣等感があるからだ。
 だが、万事がうまく運んだとしても(そうはならないだろうが)、「英語を話せる日本人」が今よりずっと増えた後に、いったい何が期待されているのか。その点は、いたって曖昧なままである。(中略)
 たとえ改革がうまくいったとしても、多少の英会話ができる日本人が増える程度の変化しか起こらないだろう。頭の中で複雑な事柄を英語で考える能力抜きには、「英会話」を超えたコミュニケーションの道具として、英語を使いこなせる水準には到達できないからだ。
 「英語を話せる日本人」を増やしたい、だがその後の見通しは曖昧なまま。万事うまくいき、たとえ英会話が多少できる日本人が増えたとしても、改革にかけるコストとリスクは膨大すぎる。それでも改革が断行されるのは、「英語が話せる日本人」が増えた「その後」への想像力が貧困なためだ。
 英語を話せるようになった後に、日本人・日本社会は何がしたいのか。劣等感の裏返しは、空虚な理想の実現でしかない。(pp. 196-197, 太字は引用者)

外国語を「完璧に」習得するのは不可能に近く、たとえ可能だとしてもコストが割に合わない。だからこそ、自分がどの程度のスキルを身につけたいのか把握したうえで、学習に取り掛かることが重要だと思う。しかし、現在の日本における英語教育はゴールがきわめて曖昧だ。多くの学習者が「英語がペラペラにしゃべれること」を理想としており、その理想と現実のギャップに日々苦しんでいる。「何のために英語を勉強するのか」と聞かれれば、「外国の人とお友達になれるから」とか「将来の役に立つから」といった答えが一般的で、想定される英語の使用場面もかなり曖昧だ。現状の教育改革を多少誇張して表現すれば、


「何で俺らは英語が話せないんだ!」→「学校教育が悪いからだ!」→「よし! 小学校から英語学習を開始しよう!」「よし! 中高の授業、オールイングリッシュでやってみようぜ!」


とか


「何で俺らは英語が話せないんだ!」→「『受験英語』のせいだ!」→「お? じゃあ入試にスピーキングぶち込んでやればいいんじゃね?」→「間違いないとプール! ポンポンポーン!(^^)!」


みたいな感じになるだろうか。考え方がきわめて楽観的で、アマアマすぎ。

「入試改革の検討のあり方」から抜粋

[委員意見]従前の入試の何が課題だったのかをよく整理する必要。例えば、英語のスピーキングについて、読解力である程度のレベルの学生を採った上で、大学でしっかり教育していくことには限界があったのか、それとも入試段階で欲しい人材が選抜できていなかったからなのか。

約30年にわたり実施されてきた大学入試センター試験は、2021年をもって、突如廃止された。ここで問題なのが、ご指摘の通り、センター試験の功績についての研究がほとんどなされていない——という点だ。センター試験により達成されたこと、あるいは、達成されなかったことを整理せずして、どうして入試改革と呼べるのだろうか。

[外部有識者・団体意見]大学入試改革は副作用が大変大きい。理念から出発すると必ず混乱が起こるし、意図しない影響が生じる。このため、こういう改革をしたらこういう影響が生じる、という出口からの議論が必要。

試験で4技能を測定するのとしないの、どちらが良い?——と単純に考えてはならない。ご指摘の通り、大学入試改革のようなコストの高い政策を考察する際には、その正の効果だけでなく負の効果を考慮する必要がある。近年の教育政策はこの視点が大きく欠けているように思われる。苅谷 ・増田 (2006) も同趣旨の指摘をしている。

苅谷 これは日本の教育というものを論じる本質的な問題だと思っているんだけど、要するに教育を論じるときに、ポジティブリストで考えるかネガティブリストで考えるかということです。
増田 ポジティブリストとネガティブリストですか?
苅谷 つまり、いいと思うものをどんどん挙げて、リストに付け加えていくわけです。「こんなふうに、できたらいいな」ということをつぎつぎと書いていくと、そのリストのすべてのことができたときには完璧な人間が育つみたいな考えが、ポジティブリストの考え方です。反対に、そんなことは無理だから、「最低限こんなことにはならないようにして、あとは放っておけ」というふうに考えてリストを作るのがネガティブリストの考え方。やらなきゃならないこと(やりたいこと)をすべてリストアップするのと、最低限のことだけ書いて、あとは放っておけばいいというのとでは、物事の考え方が違う。
 日本の教育って、完成品をつくるための完全なポジティブリスト主義に、どんどんなっているように見えます。(p. 45)

日本の教育は、ネガティブリストの視点が欠けている。いいと思うものをリストにどんどん付け加えていくのではなく、その効果に関するエビデンスはどれほど確かなものなのか、さらに、その政策を行うことで犠牲になるものはないのか。これらの点について冷静に考慮されるべきだ。同様の指摘が本資料でも見られる。

[外部有識者・団体意見]改革には、それによって得られるメリットと、その実現に掛かるコストがある。教育も例外ではなく、費用対効果のバランスを取って議論する必要がある。
[委員意見]大学への入試の実態把握は重要であり、現状のリサーチとアセスメントから始めるべき。政策決定過程の問題として、意思決定としてのエビデンスが活用されておらず、記述試験の合理性や必要性、ステークホルダーの参加がなかった。今回の実態調査のように、入試実態の検証を踏まえて、改革の検討を行っていくべき。

費用対効果の視点の欠如エビデンスの軽視、今回の入試改革の「失敗」の原因は、これらの二つに大きく関係しているのではないだろうか。後者については、以前とある学会でこの問題についての質問をしたところ、次のような回答を得られた。「確かに『結論ありき』で議論が進められている傾向は否めない。ただし、すべての官僚がこのような精神をもっているわけではない。中には、こちらの意見に耳を傾けてくれる官僚もいる。そういった官僚と出会った際に、その機を活かすことが重要だ」との回答をいただいた。今できることは、その機に備え、研究を蓄積しておくことではないかと思う。

この点については次項で扱う「専門的知見や当事者の意見」でも指摘されている。

「専門的知見や当事者の意見」から抜粋

[委員意見]英語4技能も記述式も、何年も前から専門家が問題を指摘し続けたにもかかわらず、意見が反映されることなく、土壇場で見送りとなり大混乱を招いた。犯人捜しをするという意味ではなく、同じ失敗を繰り返さないために、経緯の検証を徹底的に行う必要。
[外部有識者・団体意見]入試改革の経緯として、文科省の会議体から慎重論の専門家が排除され、これらの会議の一部は非公開にされた。さらには、学会等からの提言やパブリックコメントの結果も無視された。
[外部有識者・団体意見]共通テスト記述式について、高大接続システム改革会議においては様々な課題が指摘されていたにもかかわらず、テストの専門家がいない検討・準備グループにおいて、テスト実施の具体策が決められていった。

このように、入試改革の「経緯」について、不透明性や専門的知見の軽視が問題であったとされている。
以上の内容をもとに、今後検討されるべき研究課題を提示したい。

研究テーマのまとめ

1. 英語民間試験と記述式の導入は、どのようにして2020年度の入試改革の目玉政策となったのか
 - どのような利害関係が発生していたのか
 - 「謎の5か月間」で何が起きたのか
 -学会等からの提言、専門家の指摘はその経緯にどのような影響を与えたのか


2. 「英語が話せる日本人」を増やすことの目的とその妥当性の検証
 - 何のために「英語が話せる日本人」を増やしたいのか
 - その目的は妥当なものか
 - そこで想定される英語力はいか程なものか

3. 大学入試センター試験の功罪
 - センター試験の何が問題だったのか
 -センター試験の導入により、どのようなことが達成されたか
 -共通テストはその問題点を克服できているのか

4. 民間試験導入による正の効果・負の効果は、どのようなものが想定されるか
 - 期待される正の効果の確からしさはどれくらいか(エビデンスはあるのか)
 - この改革により、犠牲になるものはないのか
 - もっと費用対効果の高い教育政策はないのか

*1:詳しくは、須藤 (2021) をご覧ください。3月中には公開される予定です。